悪魔や悪霊の働きで苦しんでおられる方へ
薬を飲んで病気は治ることもありますが、食生活を改善するのは、基本中の基本です。
人によっては、病気が治らないこともあります。
祈りも同様に、祈ったから明日にはよくなる、完治するのに一か月かかる、数か月かかると、はっきりわかるものでもありません。
しかし、何をするにも、目的を達成するための根拠がぶれれば、達成しにくくなるでしょう。
信仰のある人の祈りは、ぶれがないということです。
祈ってみて、叶うか叶わないかという結果の前提には、信仰があります。
(願望を叶えるためにする祈りを「お陰信仰」なんて言いますけれども。)
祈りを続けているとわかることですが、祈りは習慣化されなければ、効果が薄いかもしれません。願望を念じるとか、叶えたい事をお願いするのとは違うからです。
人は聞くことや見るものから、確実に影響を受けます。
現在、実に苦しんでおられる方のために↓
これまでの体験から、悪魔の支配下にある世界では、イエスキリストだけを絶対に認めない、という事実を知りました。
恐らく、キリスト教徒の信仰によるのではなく、そもそも彼らが面白いほど絶対に嫌がるのが、不思議なほどです。
キリスト教徒にしてみれば、あいつ(イエスキリスト)だけは本物だと、敵が自ら宣言してくれているようなものでしょう。
拘るその理由は、イエスキリストの有名な名前やキリスト教のブランド力、というお粗末さなのです。
死〇宣告されているが、何とか生き延びるに余地もなく、「抹消の時を待つのみ」という残酷な現実が、そこにはあるだけだからなのでしょう。
彼らはそのような滅んでいる魂ですから、何も相手がイエスキリストでなくてもよく、自分を投影して批判する対象が必要、というだけなようです。
彼ら自身の問題でしょう。
自己中心的目的を隠すためだったり、あるいは事実を欺くために、何らかの対象に対して、文句や不平を言いたいだけです。
思考停止者は思考がパターン化され、ロボットのようになり、各状況に対応するのではなく、各状況の方を自分の考えにあてはめようとします。
中心は自己、自分なのです。
自分は悪魔や悪魔的大ボスに脅されている、被害者の立場なんだとか、イエスキリストを認めると狙われてしまうから仕方ない等々言いながら、自分達の目的を達成するための、言い訳や口実にしているに過ぎません。
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