事件や事故で亡くなられた方の霊魂は原発事故で野生化した犬や猫と同じではありません
【NNNドキュメント】野生化した犬や猫… 原発事故で放された動物のその後 NNNセレクション
事件や事故で亡くなられた人の霊魂は、原発事故で野生化した犬や猫とは、同等ではないはずですが...私が見ている死者たちの世界は、例えるならまるでこのような感じです。
野生化した動物たちが、人に対して狂暴になるのは、生き物としての本能から当然のことでしょう。
神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
創世記 1章28節
日本の神道では、いつまでも家族や親族を見守ってくれるよう、お祀りします。
仏教では、供養し成仏を願います。
神道では、結界を張り、神を祀り、神様自身が結界の内外へ、自由に出入りできないようにしているそうです。
(人であったことのない)神様は、どこへでも自由に動いていくものだからだそうですが、人を地縛させる目的で(呪術的に)人の命を〇めている場合には、そういった意味合いを、持たせることもあるようです。(※その昔、計画犯罪を行った滅びの霊魂から聴取。)
死者には、上下左右といった空間認識は、実質無関係でしょうが(あらゆる現れ方をする)、だからこそ、形ある生者や生者たちが認識している、地上のある一定の場所に、執着=固定させる、という観念が働くのかもしれません。
彼ら死者たちの思考はとめどなく、見た目にはまるで生者のようでいて、本人にとっても大変心もとないものです。
(生前があるというのなら)本人とは別物になっているというのが真実でしょう。
憑依というのは、生きている人間の持つ喜怒哀楽等への霊の固執状態で、修行者が涅槃へ至ったり、死者が成仏するのとはまったく真逆な、非論理的世界です。
正しく思考できないという点においては、生きている世界にもよく似た人たちが存在しますが...彼らは、例えば他人の怒りや他人にどう思われるか等、自分以外の、自分の外にある、真理でない(俗的な)ものをその思考や判断基準にし、挙句、赤の他人にしつこくしたりします。
責任の所在とやらをさえ、押し付け合ってみせようとしたりまでしますが、誰も責任を取ることなど不可能なことについては、自分をいつまでも不在にしておけるからです。
(日本の有名な書物にある「のらりくらり」!?)
キリスト教では、この世界のすべては神の持ち物ですが、人の命もそうで、人は死んだ人を、二度と生き返らせることはできません。
キリスト教の神が、十字架に磔にされたイエスキリストを、復活させることができたのは、(死をも打ち破る)神だからです。
誰にもどうすることもできないということについての、人間が持つ恐れや悲しみや怒り等は、私には、それは究極的には神への畏怖ということでもあります。
わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。
あなたがもし知っているなら、だれがその度量を定めたか。だれが測りなわを地の上に張ったか。
その土台は何の上に置かれたか。その隅の石はだれがすえたか。
かの時には明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び呼ばわった。
海の水が流れいで、胎内からわき出たとき、だれが戸をもって、これを閉じこめたか。
あの時、わたしは雲をもって衣とし、黒雲をもってむつきとし、
これがために境を定め、関および戸を設けて、
言った、『ここまで来てもよい、越えてはならぬ、おまえの高波はここにとどまるのだ』と。
ヨブ38章 4-11節
10年以上前に、参議院議員の青山繁晴さんの霊体験を初めて聞きましたが、安倍元首相暗〇直後には、青山さんは安倍元首相の気配を感じたのだとか↓
【青山繁晴】人生で一番恐怖した不可思議な体験…。
私は心を尽くしてあなたに感謝します。天使たちの前であなたをほめ歌います。
詩篇138:1
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