MediumのMediumでMediumの世界

Medium(霊媒) とは霊魂などの実体のない存在との交信や意思疎通ができるとする者(Wikipedia)

私は、主にヨーロッパ方面の犯罪被害者(諜●員)の方のために、ミディアムとして記録を残しています。このブログに、その理由について様々な角度から記載しています。
(※内容から、世界中の親中勢力や民族独立支援諜●員は除くことをお察しください。ごく一部の外国の諜●員の御遺族の方に宛てた内容になっています。彼らへの連絡と拡散を希望します。)

私はミディアムですから、聞き取りをしている相手は当然故人です。故人達(※計画殺人の諜●員被害者)から聞いた情報のみからこのブログを記録しています。(現場や居宅も確認可能です。)
諜●・警察関係者が大多数で、世界中のテ●事件や事故等の現場で何が起きていたのか知ることになりました。
他に、神父やクリスチャンはその何倍もおられ数えきれません。
クリスチャンである私は、ヨーロッパを含む特定地域のために祈り続けていますが、古代のキリスト教の修道者の霊魂も時々現れます。


Who is the liar but he that denieth that Jesus is the Christ? This is the antichrist, even he that denieth the Father and the Son.
1ヨハネ2:22
I pray in the name of our Lord Jesus. Amen.

私の恋人はテキストです

私が、聖書を通読するきっかけになったのは、印象に残る聖句でした。
(私の恋人はテキストです。)
受洗後、盛り上がっていた気持ちも一段落し、聖書から離れていても、以下のような聖句


を読んで、はっとしたものでした。






いつも喜びなさい。絶えず祈り続けなさい。全てのことに対して感謝しなさい。
Rejoice always, pray without ceasing, give thanks in all circumstances.







私はよく「頭で考えてばかり」と注意される性格ですが、「いつも喜び、すべてのことに感


謝する」という、この聖句の意味やそのような状態が、よくわかりませんでした。


日本人には、自分の願いのためにあれこれ手段を考えたり、そのために祈ることはあって


も、唯一絶対の今も生きている神(明確な意思がある)に祈る、という習慣がありません。


クリスチャンは、イエスキリストを相手に、語りかけるような祈りをしますが、ごくごく普


通の日本人にとって、「神」は一度人として生まれた史実に残るイエスキリストではありま


せんし、神が「相談相手で話し相手」という感覚は、あまり持っていないと思います。


(実際は、イエスキリストは「祈る」対象どころか、親しく話す相手に近いでしょう。)


「絶えず祈り続けなさい」とありますが、教会の牧師や神父を介してではなく、イエスキリ


ストに個人的に直接祈る祈りが伴わなければ、いつも喜び、すべてのことに感謝すること


も、義務的(そのような人であらなければならない)になってしまいます。


イエスキリストとの関係を構築するという意味では、教会に権威教会に権威と、教会が批判


されることはあっても、別の問題です。








常に、私の頭の片隅に、イエスキリストの存在がある状態に近づいてきたのは、この数年で


す。


それ以前は、「絶えず祈り続けなさい」という言葉が、文字通り絶えずだとは考えていませ


んでした。


聖書を読むことも大事ですが、中々時間が取れない私は、生活しながらも、日々絶えず祈る


ことはできる事に気がつきました。


そして、毎日祈れば、時間がなくても聖句や聖書を読みたくなります。


時々は、現実に自分に起きていることや遭遇したことについて、聖書を逆引きすることにも


なります。


生きている神と交わりを持つ「祈る」という習慣が、自分のものとして身につかなければ、


自分の力に頼らずに、という意味も分からないかもしれません。







私を強くしてくれる者によって、何でもすることができる。
I can do all things through him who strengthens me.







信仰生活に至る前までは、自分を強くするのは自分の意思(外の世界の何に価値を置くかの


意思決定も自分自身で行う)ですから、自分を強くしてくれる者についても、頭で考えがち


でしたが....例えキリスト教徒でも、自分を強くしてくれる者に対して祈らなければ、「自分


を強くしてくれる者によって、何でもする」ことは難しくなるでしょう。






時間がなく、いつまでも付箋紙でカラフルな私の聖書...













悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
Blessed is the man who doesn't walk in the counsel of the wicked, nor stand in the way of sinners, nor sit in the seat of scoffers.