中〇包囲網時代を迎えた不法の者どもへ(ローマ人の末裔から反キリストがつってんだろ)
反キリストとは誰なのか? その登場とタイミング|終末預言シリーズ(前兆編)#15
(タイトル、取り乱しましたのでやり直して...)
「違法」か「合法」かをお喋りしながら、あたかも何か(法!?)を気にしているかのような素振りの、中〇包囲網時代を迎えた不法の者どもへ(ミナ、コロサレテマス)
戦時には、何をやっても構わないという人が出てくるように、平時においても、何をやっても構わないという人がいます。
そういう人たちは、死後にも、何をやっても構わないという精神のままです。
つまり、(霊魂の滅んでいる)彼らの間に、(遵守すべき)法などこの世だろうと、ありえなかったのです。
しかも、まだこの世に生存している人が現実世界において、死滅している犯罪者の霊魂と連携するように行動しているのさえ、観察できることについては既に書きました。
そこまでくると、それを観察している側としては、犯罪者や違法行為者といった、対「法」として思考すべき、出来事や対象者ではないことはわかるでしょう。
しかイエスキリストの定義は、唯一の神が自由意思を持った人として生まれ来た、厚かましくも人間側がそれを守ったりだとか(初めに十戒が与えられていますが)、真似できる「法」やルールやアイドルでもない、歴史上唯一の人です。(旧約聖書を全うの上。)
人間の側が、信仰を守ろうが、神を気にしようが気にしまいがお構いなしなのが、一方的で唯一の「生ける神の計画」です。
ですから、人間側が主導権を持っているのではありません。
そして、神は神、天使は天使、悪魔は悪魔、人は人、俺は俺です。
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(1ヨハネ4:10)
では、彼らアンチの足場、土台はどこにあるのでしょう?
ないのです。
やってしまえば勝ちという、やりたいようにやるという「行為」だけが唯一のルールです。(俺俺俺が反キリスト)
行為ありきですが、頭脳労働はせず主に肉体の難儀を好み、時には他者の肉体さえ損なわせます。
キリスト教では、人間は生まれながらの罪びととされますが、聖人に近づく人ほど犯罪を行わないのは、多分「面倒くさい」し「忙しい」からです。
しかし何故、それが面倒くさいことだと、わかる人とわからない人がいるのでしょう?
過去には、面倒くさくても、大金を積まれれば動く人もいたのです。(一流の暗〇者は報酬が雀の涙だと怒り狂っています。何せ、日本国の破壊工作ですから。払えるんでしょうか。)
人は、自分の人生を全うするのさえ大変なこともわからない、いい加減な世間知らずということでしょう。
外国のスパイまで出てきて、結果己が抹〇されるような犯罪を行う、かなり面倒くさい存在になることがわかっているのに、その主張迄「反日主義」とやらを貫く面倒くさい人たちが、はびこってきたのはどうしてでしょう。
頭が「暇」な犯罪者や犯罪予備軍は、考えた上でなるべく動かないことを選択できないがゆえに、結果的に口を動かし、適当なことを言ったり嘘をついたりしながら、正規路線から逸脱し続けていることを、隠したがっているのが実態です。
「反」対のことを言えば、それは即意見や主張だと考えている人が多いようですが。
既に滅んでいる反日主義霊魂というのは、「反しないのは、先生の言うことを聞くおりこうさんでピュアでウブな信仰者たち」等と考えてしまう、知的レベルです。
そして、「イエスキリスト様が信者を本当に救えるかどうかは、俺やお前が殺してみて試そう」と言う、障〇者レベルです。(相当イモいです)
あらかじめ思考した上でも、そのようにかなり多動的↑であるのは、思考できないからです。↓何度でも?↓
PPAP(Pen-Pineapple-Apple-Pen)ペンパイナッポーアッポーペン/ Ryuk(死神リューク) feat.PIKOTARO(ピコ太郎)
バカがバカだとバカにされるのは、かなり面倒くさいからでしょうが、それはそうでしょう。
自分が面倒くさい奴かどうかについては、仏典を読むと相当腹落ちするものですが...自分は「悪人」だそうで、そんなものは読まない霊魂なのだという面倒くささです。
(マジ思春期、マジ?)
バカではない「悪人」も世間にはいるのですが...(本当に面倒くさい)
そして、現実世界で、犯罪行為により警察を(無駄に)動かしたり、国民の税金を無駄使いします。
そのように、無駄に「動きたい」のは、もちろん無駄な思考が多いからでしょう。
例えば、警察のために犯罪は起こされ犯罪が存在しなければならないと言ってきた、もはや「老害」思考について、考え直されるべきでしょう。(古っ)
警察は、警察組織及び警察としての職務を行う維持活動だけで、相当な肉体労働なはずです。
いまは子供はすぐ学校を休みますし、社会は熱中症やコロナ対策で四苦八苦しているのです。
頭脳労働することで済ませられる肉体労働があるということくらい、自分の行動により警察を動かすことになってしまう人は、いい加減よく考えるべきでしょう。
法律を守るのは、効率維持のためでもあります。
自分がそのような行動を起こそうと考えているその時点で、「事件!」(自分にとっての)のフラグが、頭の中に立たなければならない時代を、生きているはずなのですが...
違法者を相手にするという時点で、ただ働きも同然でしょうに、「法の抜け穴」だとあらぬ方向へ思考さえ展開し、「犯罪者と警察は無限に活動可」なら「思考がかなり多動」でしょう。(ダサい...)
新しい時代においては、近年世間で批判に上ってきた「活動家」の精神性の残滓では!?
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。