学力偏差値100の魂たちのために
私に見えているのが、美しすぎる外国人(ハニーフェイスではなく絵画ではない)だと私が思っていても、本当は天使かもしれません。
学力偏差値100の魂と、光の存在のように見えて実はそうではない者との区別がつくのに、二年以上かかりました。
(長い間、無視してきましたので。第二の天は混交状態のところです。)
学力偏差値100の魂たちのために↓
Requiem Fauré. Libera Me
(のだめカンタービレの曲ではありません)
Angela Gheorghiu - Verdi's Requiem: Libera me
Libera me, Domine, de morte æterna,
in die illa tremenda.
主よ 永遠の死から私をお救いください
恐るべきその日に
Quando cœli movendi sunt et terra,
Dum veneris judicare sæculum per ignem.
Tremens factus sum ego et timeo,
dum discussio venerit atque ventura ira.
Quando cœli movendi sunt et terra.
天と地が揺れ動き
主が炎を持ってこの世を裁く日
来るべき裁きと怒りの時に
私は恐れおののく
天と地が揺れ動く
Dies iræ, dies illa,
calamitatis et miseriæ,
dies magna et amara valde.
それは怒りの日
災いと不幸の日
大いなる嘆きの日
Requiem æternam dona eis, Domine
et lux perpetua luceat eis.
主よ 永遠の安息を彼らに与え
絶えざる光でお照らしください
クリスチャンには憑依という状態は起きません。
存在する次元が違うからですが、存在する次元が違う(第三の天)者達と交差するように、各天の存在が重なって見えているためだということも、体験の中からわかりました。
「キリストと共に第三の天にいるなんてあり得ない」と言う、サタン軍勢側の声を聞いたことがあります。
神に訴えるサタンとは、天の法廷で戦いますが、それを避けたいためかと思われます。
いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる、「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕ける者の心をいかす。わたしはかぎりなく争わない、また絶えず怒らない。霊はわたしから出、いのちの息はわたしがつくったからだ。」
イザヤ 57章15節
(2022.11.2 修正済み)
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