MediumのMediumでMediumの世界

Medium(霊媒) とは霊魂などの実体のない存在との交信や意思疎通ができるとする者(Wikipedia)

私は、主にヨーロッパ方面の犯罪被害者(諜●員)の方のために、ミディアムとして記録を残しています。このブログに、その理由について様々な角度から記載しています。
(※内容から、世界中の親中勢力や民族独立支援諜●員は除くことをお察しください。ごく一部の外国の諜●員の御遺族の方に宛てた内容になっています。彼らへの連絡と拡散を希望します。)

私はミディアムですから、聞き取りをしている相手は当然故人です。故人達(※計画殺人の諜●員被害者)から聞いた情報のみからこのブログを記録しています。(現場や居宅も確認可能です。)
諜●・警察関係者が大多数で、世界中のテ●事件や事故等の現場で何が起きていたのか知ることになりました。
他に、神父やクリスチャンはその何倍もおられ数えきれません。
クリスチャンである私は、ヨーロッパを含む特定地域のために祈り続けていますが、古代のキリスト教の修道者の霊魂も時々現れます。


Who is the liar but he that denieth that Jesus is the Christ? This is the antichrist, even he that denieth the Father and the Son.
1ヨハネ2:22
I pray in the name of our Lord Jesus. Amen.

イエスキリスト殺人事件シンドローム


「悪者どもが青草のようにもえいでようと、不法を行なう者どもがみな栄えようと、それは彼らが永遠に滅ぼされるためです」
詩編92章 7節









世界をリードするような頭脳を持つ優秀な人が、若くして死者とされ、目を凝らせば数えきれないほど、目前にいつも静かに見えています。
負のループは、犯罪者が裁判を拒否し、罪を隠し認めない事に起因しています。
その魂が死に至ろうとも非や罪を認めない(ロジカルシンキング不可)ことを知るべきで、
だからこそ、地上において違法行為は許されません。
さもなくば、彼らは、魂は永遠だから何をしてもいいと考え続けています。
地上時間の500年(霊魂の平均寿命)は、5時間、500分、5分、5秒でもあるという真実が、そこにはあります。



罪を犯して死んだ(犯罪)者は、つまり物事をまともに考えられなかったために、暗○されています。ごり押しし無理を通せば(ただの殺人ではなく、殉職者を出す目的の工○活動等)、大なり小なり予期せぬところからも反発を買い、力による報復を受けることを承知の上なのです。
日本の保護法益である外交上の利益を、それこそ身を挺し損なっています。
(死後に「我こそはキリストなり」と豪語している有様です。)
肉体を失ったらもう死ぬ心配がないと、生者に得意がっていますから、「報復」さえ実質的な意味がない、と自ら言っているのです。
彼らは、自他の魂を損なうまで叫び続け、繰り返すのですから、はた迷惑もいいところです。



破壊行為であり建設的でなく最低に無意味だから、007に殺しのライセンスはあるのかもしれません。
報復したとしても、そこには何の意味もないのですから。
ですから、地上において違法行為は許されない、のです。




その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
マタイ7章 21-23節






また、自分の犯した殺人(罪)について、過去の歴史上に起きた、「人類による計画犯罪であるイエスキリスト殺人事件」を引き合いに出し、「神であるキリストは愛なのだから、殺人者である自分は許されている。(自分勝手な)己の正当性を主張の結果、報復を受け○害された。


社会において、犯罪に巻き込まれるような犯罪被害者というのは、トラブル等人からの恨みや、相反する利害関係を無理やりにでも奪い合い、争うため狙われているものだ。
だから、「犯罪加害者と被害者というのはそもそも、お互い様な存在だ」、と考える、ほとんど精神病の域の犯罪者(死者)もいます。
初めから一方的で計画的な犯罪行為(テロ含む)を、工○活動等とし、民族独立的な内心を持つ生きている人にも、こういう思考の仕方をする人達がいます。
反社会勢力というのは、いかに「自分は反社会的でないか」についてを考えるために、計画的に相手を巻き込み、ねじれまくります。
相手が必要(偶像)な’偶像崇拝教’が、すっかり蔓延していますが、その大方が泥棒目的です。(偶像崇拝とはそういうものです。)



殺人は罪であることを認めず、最終的には、どういう亡くなり方をしたかで争います。
(だから、行方不明にしたり、拷○したりもするのだそうです。)
満足な軍事力を備えず、長く国家の破壊工作を受けて来た’犯罪被害者予備軍’である日本国の、日本人という存在は、近隣諸国の外○人工○員(※半島系)にとっては、’犠牲者でか弱い救世主(イエスキリスト)’なのだそうですが...


何かというと折節には、「人類による計画犯罪であるイエスキリスト殺人事件」を、引き合いに出して考える、イエスキリスト殺人事件シンドロームでしょう。
「人類による計画犯罪であるイエスキリスト殺人事件」さえ歴史上に君臨していれば、(犯罪者の脳内では)殺人(罪)を認めなくてもよくなると、処理されるようです。
クリスチャンという存在は、そんな犯罪者達の、使い捨ての犯罪隠ぺい協力者であり、カモだという、毎度繰り返されてきた例による勝手な認識(無知)の仕方です。
「無辜な殺させてくれる有難い救い主」なので、(日本人を殺害後にも)日本人は自分の魂を救ってくれると嘯き、例えば、誰彼となく、霊能者の元にまで、暗○された後になって現れたりして、その罪状や敗北は認めず、固執して見せるしか能がないのでしょう。



「死んだ人はいない、死後の世界はない、悪魔が見せている」のだとしても、私にとっては「生きている時からそのような有害な存在」が実在していたという、事実確認の機会を見逃す理由にはなりません。
都合の悪い事については、徹底的に嘘をつく浅ましさで、犯罪の加害行為と犯罪の被害の両方を、隠ぺいし続ける’人間らしさ’です。
かたや、犯罪行為により、一方的に仕掛けられた側である犯罪被害者(故人)側の証言は具体的で、何度尋ねても同じ回答が返ってきます。



さて、どちらも自己の利益のために被害者側を主張したいのだとして、この違いは一体何でしょう。
そして、これだけ違う両者がいる場合、よりどちらの話に耳を傾けたいと、普通人は思うでしょう。
死後にまで(生前があると言うのなら)嘘をつくというのは、結局は、自己の訴えたいことがないのだと、肉的にも霊的にも繰り返し何度でも敗北を自白しているようなものです。
自分が殺されるようなこと(無理)をするからこそ、自分は殺された、ということを隠したいために、後の世の証言者や都合の悪い関係者を、ますます消したいのであれば、初めの原因である無理(わがまま勝手)をする自分だけが、目立って悪いでしょう。


自分が殺されるようなことをした(民間人を含む朝○人スパイによる、日本の警○殺し)ので、第三者に足元を見られ、自○したり拷○死した、という、初めの原因が自分にある(日本の警○殺しを隠ぺい等)ことは明らかにせず、つまり、敵どころか味方にとっても不利である無能無策ぶりで、最後は、外国側から始末されている、奇想天外なまるで漫画のような「事実は小説の通り」の世界です。







瑕疵ある意思表示
他人からの違法な干渉により意思表示がなされ、干渉がなければ意思表示しなかったであろうと考えられる場合を言う。このように、意思表示に加えられた違法な干渉を、とくに意思表示の瑕疵と呼ぶこともある。詐欺、または強迫による意思表示が、瑕疵ある意思表示に当たる。瑕疵ある意思表示をした者は、その意思表示を原則として取り消すことができる。意思の不存在と呼ばれる心裡留保、虚偽表示、錯誤とは、効果意思がある点で異なる。


法律法語辞典より








日本を破壊してきた日本国内に潜む人々が、「日本から出さないぞ」と、またまた勝手な真逆で、一方的に日本人批判をし始めている、今日この頃ですが...
死後に、イエスキリストが憎いと妄言を述べてみたり、知的にかなり疑わしいそのような迷信者により、日本人はどのような意味や理由において、殺○されてきたのか。
亡くなられた方から、事情を聞き知れば知るほど、いよいよ開いた口も塞がりません。





ヤコブの腰から出たものは、合わせて七十人。ヨセフはすでにエジプトにいた。
そして、ヨセフは死に、兄弟たちも、その時代の人々もみな死んだ。
けれどもイスラエルの子孫は多くの子を生み、ますますふえ、はなはだ強くなって、国に満ちるようになった。
 ここに、ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った。
彼はその民に言った、「見よ、イスラエルびとなるこの民は、われわれにとって、あまりにも多く、また強すぎる。
さあ、われわれは、抜かりなく彼らを取り扱おう。彼らが多くなり、戦いの起るとき、敵に味方して、われわれと戦い、ついにこの国から逃げ去ることのないようにしよう」。
出エジプト記1章 5-10節

(※ユダヤ人を祖先とする世界中の人々の、祖国イスラエルへの速やかな帰還の為、日々お祈りしています。)












しかし、日本国はイスラエル国(1947年再建)ではありません。



あなたはパロに言いなさい、『主はこう仰せられる。イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。
わたしはあなたに言う。わたしの子を去らせて、わたしに仕えさせなさい。もし彼を去らせるのを拒むならば、わたしはあなたの子、あなたの長子を殺すであろう』と」。
エジプト記4章 22-23節









イエスキリストは殺されるために生まれて来た、と言いますが、イエスキリストが、どんな生まれ方をしどんな死に方をしようと、イエスキリストはイエスキリストです。


しかし、霊界に観察する犯罪者(故人)はその罪状に応じ、例えば「イエスキリストは殺されるために生まれて来た、だから殺人者である自分(を無実としてくれる)の救い主」、というところに懸ける一面が、ちらちらと垣間見えています。
誰かに殺されなくても、(生まれつきの)病気で大変な長い苦しみの元この世を去る人だっているのです。
何も「誰かに殺されないかもしれないが、殺さなければ自分が殺されるから殺すのだ」という信念の元にある人のための救世主イエスキリスト、ではないのです。
死に様の自慢までし合う愚かしさを、難病者を前に恥じるべきでしょう。


彼らは神に文句があるそうで、’人はみな神に殺される’から、自分は誰かを殺さざるを得ない、と言うのがお決まりです。
生前に何をしようと魂は永遠だそうで、地上での自分の行いを死後に神が裁くなど子供っぽい考えであり、自分は幽霊ではなく「復活」しているのだそうです。
ですが、聞くところ、生前から死後に至っても、決してイエスキリストを自分の救い主だと口で告白だけはしていないし、しなかったのだそうですから、キリスト教思想からの借り物でしょう。
彼らの思考は、借り物をぶつ切りにし切り貼りしたような、いいとこどりの言い分が目につきます。
イエスキリストが自分の救い主であると自分の口で告白するのは絶対に嫌!と、言い続けていますから、イエスキリストと何の関係があるのでしょう。
完全な生贄であるイエスキリストの血潮にも拠らず、「イエスキリストの復活」という奇跡だけは、’死後観’に取り入れたがっている幽霊’でしょう。
その主張は、破綻したものばかりです。




主はまた彼に言われた、「あなたの手をふところに入れなさい」。彼が手をふところに入れ、それを出すと、手は、らい病にかかって、雪のように白くなっていた。
主は言われた、「手をふところにもどしなさい」。彼は手をふところにもどし、それをふところから出して見ると、回復して、もとの肉のようになっていた。
主は言われた、「彼らがもしあなたを信ぜず、また初めのしるしを認めないならば、後のしるしは信じるであろう。
彼らがもしこの二つのしるしをも信ぜず、あなたの声に聞き従わないならば、あなたはナイル川の水を取って、かわいた地に注ぎなさい。あなたがナイル川から取った水は、かわいた地で血となるであろう」。
エジプト記4章 6-9節

(※ユダヤ人のイスラエルへの帰還にあたり、多くの人が再びイエスキリスト殺人事件症候群の発症によるトラブルに見舞われ、繰り返されることについて、数年来神から啓示を受けています。ロシアによるウクライナ攻撃が始まる以前からで、私は外国の為に祈り続けています。)






イエスキリストの信仰者には「あなたは救われる’永遠の残りの者’」とでも思ってほしく、しかし、自分で信仰すると「殺人対象としてのイエスキリストにされる」ので、(一貫性を持って考えることができないので、ここで思考がすり替わり)キリスト教とは無関係な、仏教や神道やその他の宗教の天国へ、自分は行くのだそうです。
自分の口での信仰告白もなく、絶対に信じないのであるから、つまり、完全な生贄として捧げられた、いまも生きて働いておられるイエスキリストは、彼らとは無関係なので、保険も不要な自信だけは満々な、考える力などない嘘つきな自分が考えたことによって即生贄、とされ、自分で自分を殺しているのです。
国際法違反の犯罪や、人○しであるいてもたってもいられない自分やその立場のために、
生きている犠牲者(自分)や生贄(自分)を、常に必要とした、という結末です。

イエスキリストが完全な生贄であり、今も生きて働いておられるということがわからない「机上の空論」であるために、自分で自分を救うこともできなかったと言う、まるで、机上の空論です。




「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。」
マタイ27章42節








↑まるで霊界からの証言のようにあてどない、存在するのかしないのかわからない、「生産性!工作員」の呟きは悪魔の証明のごとく、ぐるぐると巡り巡る自業自得なものですが...神の言葉は永遠です。↓



モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレブにきた。
ときに主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼が見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。
エジプト3章 1-2節



Unsplash Artem Labunsky撮影(シナイ山脈)
















「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。
(ヨハネ15章 7節)
(※呪文でも諺でもありません。聖書にある神の言葉です。)